霞が関通信

国際消防救助隊エジプト派遣隊の活躍

自治省消防庁救急救助課

(プレホスピタルケア 10:1 23号 60-64, 1997)


1 はじめに

 平成8年10月27日18時25分(現地時間)頃、エジプト・アラブ共和国のカイロ郊外の住宅地ヘリオポリスにおいてビルが崩壊し、居住者等100人以上が、崩落した瓦礫等の下敷きになるという事故が発生した。

 わが国政府はこの事故に対してエジプト政府の要請を受け、国際緊急援助隊を派遣することを翌29日に決定した。消防庁においても、外務省との協議の結果、自治省消防庁職員並びに東京消防庁、大阪市消防局、札幌市消防局及び松戸市消防局の救助隊員計9人により国際消防救助隊を編成し、国際緊急援助隊の救助チームの構成メンバーとして派遣することとした。国際緊急援助隊の救助チームの派遣は、平成5年12月のマレーシアのビル倒壊事故以来、実に2年11カ月ぶりのことであった。なお、今回の事故ではエジプト政府からの派遣要請に応じて、医療チームについては派遣されず、救助チームのみの派遣となったものである。

 国際緊急援助隊は、国際消防救助隊のほか、外務省、国際協力事業団(JICA)、警察、海上保安庁の各隊員による総計24人から編成され、30日10時54分成田空港から現地に向け出発し、30日23時(現地時間)頃カイロに到着し、以降3日間、61時間にわたる救助活動を終了し、11月6日に帰国した。

 以下、エジプトでの国際消防救助隊の活躍について紹介するとともに、国際消防救助隊の沿革、概要等について概説することとしたい。

 

2 国際消防救助隊の概要

 昭和60年に発生したコロンビアのネバド・デル・ルイス火山の噴火による泥流災害に際して、外務省から消防庁に対し、救助隊の派遣について意向打診があり、消防庁では、積極的に協力することとして準備を進めた。この援助活動は実現には至らなかったが、その後昭和61年に、消防庁では、海外で大規模災害が発生した場合に人道上及び国際協力推進の観点から世界のトップレベルにあるわが国の消防機関の救助隊を迅速に派遣する体制を整備することとし、国際消防救助隊を発足させた。

 その後、我が国政府は外務省を中心に、特に発展途上にある海外の地域における大規模災害に対し、被災国政府の要請に応じ、緊急援助活動を行う人員を派遣する体制を整備することとし、昭和62年、派遣の根拠及び手続き等を定めた「国際緊急援助隊の派遣に関する法律」が制定された。

 この法律は、海外の地域において大規模な災害が発生し、または発生しようとしている場合に、被災国政府等の要請に応じて実施する国際緊急援助隊派遣体制の整備を図ることを目的としたものであり、消防庁長官は、外務大臣との協議に基づき、消防庁職員に国際緊急援助活動を行わせるとともに、消防庁長官の要請を受けた市町村はその消防機関の職員に国際緊急援助活動を行わせることができることとなった。

 国際消防救助隊は同法に基づく国際緊急援助隊の一部を構成するものであり、現在全国40消防本部、501名の隊員が登録されている。

 これまでの活動実績は表1のとおりである。

 消防庁では、昭和62年に「国際消防救助隊出動体制の基本を定める要綱」を制定し、その派遣体制を整備してきたところである。

 

3 活動の概要

(1)事故発生現場の状況

 崩壊したビルは12階建ての共同住宅であったが、一部角部分を6階ほど残して大半が崩壊しており、高さ10m以上の瓦礫の山と化していた。このビルは鉄筋コンクリート造ではあるものの、柱や床を除く大部分がレンガをコンクリートで固めた構造となっていたことに加え、コンクリート自体が我が国で使用されているものと比較してセメントが少なく砂が多いものであったため、崩落したコンクリート片は小さく砕け、鉄筋が露出し、ビルの残存部分と崩落部分との境目以外は空洞箇所がはとんど存在しない状態であった。

 また、ビルの残存部についても、崩落、瓦礫の落下等による二次災害の危険が残っていたことや、粉塵、悪臭等もあり厳しい環境下にあったことから、隊員の安全と二次災害の防止についても注意を払う必要があった。

(2)エジプト側の活動の概要

 カイロ県人民防衛隊(消防隊)及び軍のレスキュー隊等が懸命な救出活動を実施しており、発災から我が国の国際緊急援助隊(以下「日本チーム」という)が現地に到着するまでの間に、ビルの残存部分と崩落部分から、24人の生存者が救出され、31人の遺体が収容されていた。

 エジプト側の活動は、60〜70人規模で瓦礫等の除去作業と並行して検索活動が行われており、一部ショベルカー等の重機も活用されていた。

 なお、資機材は、消防隊のエンジンカッターが2機と、軍のレスキュー隊の電動鋸が1機使用されていた。

(3)日本チームの活動の概要

 日本チームは、現地到着後、直ちに資機材の準備と現場の視察を行った後に会議を開き、活動の初期段階においては、検索救助活動の最重点箇所を、生存者が存在する可能性のある1階クリニック座屈部分として、31日4時(現地時間。以下同じ)から、隊員全員により救助活動を開始し、エジプト側と連携して全ての活動を中断し、電磁波探査装置による測定を数カ所実施するも、生存波形の検出はなかった。

 続いて、ファイバースコープによる検索を実施するが、瓦礫の中の状態が砂状で画像探査は困難を極めたため、削岩機、ストライカー等による崩壊したコンクリート壁の破砕、エンジンカッターによる鉄筋の切断等を実施しながら数カ所を検索するも、要救助者の発見はなかった。同日12時以降は、チームの部隊編成を行い、2チーム4個班編成とし、1チーム8時間のローテーションで、昼夜を問わず24時間体制で検索・救助活動を実施することとした。

 11月1日9時には、日本チームの今後の活動方針についてエジプト側の現地責任者と打ち合わせ、エジプト例の重機等による瓦礫除去作業に並行して、画像探査機やレスキューツール、ストライカー等の資機材を活用した検索活動に活動の重点を変更し、2日17時まで要救助者の検索・救助作業を続けた。

 しかし、救助活動を開始して2日日には隊員の疲労がピークに達したことから、休養時間を確保するため、2日0時からローテーションを一部変更し活動を継続した。

 検索・救助作業の結果、瓦礫の残存部分がほぼ撤去された時点で、生存者が存在する可能性はないと判断されたことから、エジプト側の現地責任者との協議の結果、日本チームは2日17時をもって事故現場での活動を終了することとした。

 日本チームによる活動は、31日4時から2日17時までの3日間にわたり、活動時間は延ベ61時間にのほった。また、日本チームが活動を終了した現地時間11月2日17時現在、今回の事故現場において発見された遺体は総数64人であり、このうち日本チームが活動を開始してから活動終了までの間に32人の遺体の発見収容があったが、これら遺体の収容の多くに日本チームは携行した救助資機材を活用して貢献し、日本チーム自らも5人を救出したが、いずれもすでに死亡しており、生存者の発見救出には至らなかった。これは、日本チーム到着以降エジプト側にも生存者の発見がなかったことから、ビルの崩壊状況、コンクリートや砂の崩落等により、生き埋めになった者の長時間生存の機会を奪ったものと考えられる。

 日本チームは、3日には被災現場において、今回の私書で死亡した方々のご冥福を祈り、献花、黙祷をささげ、その後カイロ県副知事を表敬訪問し、副知事からは連日の精力的な活動に対する感謝の意が表明された。日本チームは5日朝にカイロを発ち、6日に帰国した。

 

4 教訓

(1)今回の事故に限ったことではないが、国際消防救助隊の活動については、いついかなる事態においても、適切かつ迅速な対応が求められるものであり、派遣要請前の準備段階における資機材の準備等、派遣部隊に関する調整や、被災国政府からの派遣要 請後の派遣決定から出発に要する時間の更なる短縮が求められる。

 また、これにあわせて、派遣活動を「地震災害」「風水害」「局地的事故災害」に分類し、部隊数人員、資機材の単位化等を含めた事前計画についても検討すべきであろう。

(2)外務省、JICA等と連携を図りながら、JICAの備蓄する資機材の定期的な点検整備や、電磁波探査装置等の先進的な資機材を導入していくとともに、現在実施する機材習熟訓練の方法を見直し、野営を含めた実践的訓練についても継続的に取り組んでいくべきであろう。

(3)部隊活動に必要な記録、写真、連絡広報等を担当する要員を部隊へ編入することについても検討する必要がある。ただし、24時間活動を実施するためには、今回派遣された人員は最低限度であり、各活動単位に1人以上を増員し、これらの業務を担当させる必要がある。なお、この要員は、災害活動の経験者が望ましいと考えられる。

 

5 おわりに

 今回の派遣は、地震等による広域的な災害における活動とは異なる局地的な事故現場での活動であったが、コンクリート瓦礫等の崩落危険や粉塵、悪臭等の活動条件の悪い中で、電磁波探査装置等の高度救助用資機材等を活用した昼夜を徹した懸命な救助活動と、各隊員の熟達した士気、技術に対して、現地マスコミが大きく報道するとともに、現地政府等関係者から高い評価と感謝を受け、災害現場における日本チームとエジプト側関係者との緊密な協力関係の構築とともに、わが国の国際緊急援助隊を国際的に知ってもらう意味でも、極めて価値のある派遣であったと考えている。

 また、崩壊現場の活動環境を除けば、宿泊、食事、交通、言葉等に、現地の日本大使館及びJICA現地事務所の支援が得られ、比較的スムースな派遣活動が行われたと考えている。

 成田空港を出発してから現地入りするまでに約19時間を要したこと、現地到着後直ちに資機材を準備し、検索活動を実施したこと、現場と宿泊先との往復、交替引継時間、身体、衣服の洗浄等に時間が費やされたこと等から、隊員にとってはかなりハードなスケジュールとなり、活動を開始して2日日には疲労がピークに達した。しかし活動に当たって士気を鼓舞し、怪我はもちろん1人も体調を崩すことなく活動が行われ、国際緊急援助隊の救助チームとしての任務を完遂できたものと考えている。疲労と闘いながら人命救助のため全力をもって奮闘していただいた日本チームの皆様に対し、心から感謝を申し上げたい。

 

 

表1 国際消防救助隊の派遣実績

派遣期間

災 害 名

被 災 地

被害状況

派遣実績、活動概要等

昭和

61.8.27

〜9.20

ニオス湖有毒ガス噴出災害

カルメーン共和国

ニオス湖周辺

死者

1,700名以上

国際消防救肋隊員1 名

(東京消防庁)有毒ガスの再噴出に備え,調査団に対する呼吸保護器の指導

昭和

61.10.11

〜10.20

エル・サルヴァドル地震

エル・サルヴァドル共和国

サンサルヴァドル市

死者

1,228名

倒壊家屋

3万戸

国際消防救助隊員9名

(東京消防庁、横浜市消防局3名、消防庁1名)倒壊ビルからの救助

平成

2.6.22

〜7.2

イラン地震

イランイスラム共和国

カスピ海沿岸

死者

80,000名以上

国際消防救助隊員6名

(東京消防庁5名、消防庁1名)倒壊家屋からの救助

平成

2.7.18

〜7.26

フィリピン地震

フィリピン共和国

ルソン島中北部

死者

1,600名以上

国際消防救助隊員11名

(東京消防庁2名、名古屋市消防局4名、広島市消防局4名、消防庁1名)倒壊ビルからの救助

平成

3.5.15

〜6.6.

バングラディッシュサイクロン災害

バングラディッシュ人民共和国

死者

13万名

国際消防救助隊員38名

(東京消防庁17名、大阪市消防局11名、川崎市消防局4名、神戸市消防局4名、消防庁1名)及びヘリコプター2機を派遣し、被災民への救援物資の輸送等を実施

平成

5.12.13

〜12.20

マレーシアビル倒壊被害

マレーシア

クアラ・ルンプール郊外ウルクラン地区

死者

48名

倒壊ビル

1棟

国際消防救助隊員11名

(東京消防庁6名、名古屋市消防局2名、北九州市消防局2名、消防庁1名)倒壊ビルからの救助

平成

8.10.30

〜11.6

エジプトビル倒壊被害

エジプト・アラブ共和国のカイロ郊外ヘリオポリス

死者

64名

倒壊ビル

1棟

国際消防救助隊員9名

(東京消防庁3名、大阪市消防局2名、札幌市消防局2名、松戸市消防局1名、消防庁1名)崩壊ビルからの救助