霞が関通信

交通事故現場における市民による応急手当促進方策委員会報告書の概要

自治省消防庁救急救助課

(プレホスピタルケア 7:3 14号 83-86, 1994)

 


はじめに

 急病や交通事故等による救急隊の出場件数は年間290万件を超え、さらに増加する傾向にある。近年、プレホスピタル・ケアの重要性が国民世論として高まり、救急業務の拡大や救急救命士制度の確立として結実されたが、救命率を向上させるためには、救急隊が到着する以前により早い救急蘇生法が、その場に居合せた一般市民(バイスタンダー)の手で行われることが最も重要である。これをさらに救急隊から早期に医療機関に引き継ぐ連携がスムーズに行われてこそが、真の意味でのプレホスピタル・ケアの充実と言える。

 しかし、バイスタンダーによる応急手当については、その重要性はよく理解されているにもかかわらず、実際に実施される例は少ない。その原因はいくつか考えられるが主因としては他人の身体に触れ、何らかの応急手当を施したことで生じる、責任の発生への懸念などが考えられる。

 本年6月7日に、交通事故の被災者に対して救命手当を施すことの重要性と、それにより一般市民が法的に責任を問われる不安を解消するために法律面からの環境整備について検討された、総務庁の「交通事故現場における市民による応急手当促進方策委貞会」の報告書が発表された。この報告書の内容は法律関係、補償関係等多岐にわたり検討がなされており、今後のプレホスピタル・ケアの充実、特にバイスタンターによる応急手当の普及について考えるうえで、貴重な文献となるものと思われる。以下その概要を紹介する。

 

1 序

(1) 問題の所在(略)

(2) 検討の目的

 救命手当(「一般市民が行う救急蘇生法(心肺蘇生法+止血法)」以下同じ。)を実施する一般市民に焦点を置き、従来必ずしも明確にされていなかった救命手当を実施する場合及び実施した場合に発生してくる法律関係を明らかにすることによって、救命手当を実施した市民が法的費任を追及されることのない方途を明確にすることを主目的としている。

(3)検討項目

  1. 救命手当を実施する場合の法律関係
  2. 救命手当を実施した者が疾病等の損害を被った場合の補償関係
  3. 救命手当を実施した場合の報酬制度導入の可否
  4. その他救命手当を普及するための環境整備

 

2 検討内容

(1)救命手当実施の法律関係

 イ 救命手当の実施義務

 交通事故により被災者が心停止等の状況にある現場に遭遇した時、居合わせた一般市民が、何ら救助の手立てをとることなく、傍観者の立場にあることは、状況によって非難されるべきであるかもしれない。その意味では、少なくとも、道義的には一般市民にとっても、救命手当の義務があるといえる。しかし、現行法にあっては、一般市民に救命手当の法的な義務があるとは言えない。

 ロ 民事関係について

(イ)

 救命手当は、基本的には法的に義務のない第三者が他人に対して心肺蘇生法等を実施する関係であることから、民法第3編第3章「事務管理」(第697条〜702条)に該当する(従って、不法行為責任は発生しない)。また、特に被災者の身体に対する「急迫の危害」をのがれさせるために実施する関係であることから、第698条の「緊急事務管理」になると考えられる。

※民法第698条「管理者カ本人ノ身体、名誉又ハ財産ニ対スル急迫ノ危害ヲ免レシムル為メニ其事務ノ管理ヲ為シタルトキハ悪意又ハ重大ナル過失アルニ非サレハ之ニ因リテ生シタル損害ヲ賠償スル責ニ任セス」

 従って、法律的には悪意または重過失がなければ救命手当の実施者が被災者等から責任を問われることはない。

 重過失とは、失火責任に関してではあるが「通常人に要求される程度の相当の注意をしなくても、わずかの注意さえすれば、たやすく違法有害な結果を予見することができた場合であるのに、漫然とこれを見すごしたような、ほとんど故意に近い著しい注意欠如の状態」(最高裁昭和32年7月9日判決民集11巻7号1203頁)とされているため、実際上、善意で実施した救命手当の結果について民事的に責任を問われることは、まずないと考えられる。

 ハ 刑事関係について

 一般人が行う救命手当は、一般的に社会的相当行為として違法性が阻却されると思われるが、一般人の救命手当に過失が認められる場合には、医師の治療行為に過失が認められる時に業務上過失致死傷罪が成立し得るのと同様に、過失傷害罪、過失致死罪、重過失致死罪が成立し得る。ところで、過失の有無は個々の具体的事例に応じて判断されるところから、救命手当実施者に要求される注意義務が尽くされていれば、過失犯は成立しない。またその注意義務の程度は、医師に要求される注意義務のそれより低いものであろう。

(2)補償関係

 交通事故の被災者に対する救命手当は道路上あるいはその周辺で実施されることが多く、実施者が2次災害に巻き込まれる可能性が高い。また、交通事故の場合、出血を伴うケースが多いことから、事例としてはまだ報告されていないが、肝炎等の血液を媒介とした疾病への感染が考えられる。2次災害からの防止及び感染に対する防止措置は当然に重要な事柄であるが、万一災害にあった場合の補償対策を講じておくことが、救命手当の普及推進を図るためには不可欠である。

 現行法では、「警察官の職務に協力援助した者の災害給付に関する法律」(昭和27年7月29日法律第245号。以下「警職協力者災害給付法」という。)において、明らかな因果関係が立証されれば、血液感染の疾病に感染した場合を含めて補償の対象になると考えられることから、大部分のケースは「警職協力者災害給付法」により補償される。しかし、「警職協力者災害給付法」でカバーされない場合があったとしても、その損害を実施者に負担させることは適当でない。

(3)報酬問題

 救命手当の実施に報酬制度を導入する問題は政策的な次元の課題である。善意で実施したことに対して報酬を与えるという考え方自体の是非が問題になるところでもあり、原資負担の問題を含めて更に慎重な対応が必要である。

 

3 今後の促進対策

(1)法律関係

 救命手当が実施されるほとんどの場合は緊急事務管理と理解されるため、民事上免責さる範囲は事実上かなり広く、実施者がその結果について、万一容態が重篤化した場合であっても、法的責任を問われることはまずないと考えられる。その意味で実施者は、責任問題を気にしないで勇気をもって救命手当に臨める法律環境にあると言える。

 ところで、民法では、原則として他人の事務に干渉するのは違法であり、不法行為責任が生じる。ただ、我々の社会生活は、相互扶助の下に円満な発達をみるものであって、事情によっては何ら権限も義務もない場合にもなお他人の事務に干渉して処理することが必要とされる場合もある。このような場合に、一定の要件のもとに他人の事務を管理してもよいことを認めるのが、事務管理の制度である。

 従って、民法の事務管理制度は、一般的には積極的に他人に関わりを持つことを奨励したものではなく、他人が急迫の事態にあるとき、法的に義務のない第三者が救命手当を実施した場合は注意義務が軽減されるという消極的な意味合いがあるに過ぎない。

 また、万一、重篤化等により責任を追及されることがあった場合、実施者において緊急事務管理であることを立証しなければならない負担を負っていることも課題である。その意味では救命手当の普及促進について現行法が直接的に作用を及ぼすものではない。

 そこで、救命手当の普及促進を目的とした法制度を考えると、事務管理制度を経由することなく直接的に不法行為責任からの免責措置を講じた規定を置くという方策も考えられる。

 しかし、現状においては、現行法の緊急事務管理によってほとんどのケースをカバーでき、免責の範囲はかなり広いので、上記のような指摘は、将来的な課題として、補償関係等も含め、引き続き慎重に検討する必要がある。しかし、現時点では新たな法制定や法改正までは必要がなく、現行法における免責制度を周知させることに力点が置かれる必要がある。

(2)補償関係

 救命手当の促進には実施者が被った損害が適切に補償されることが必要である。従って今後は、損害の補償範囲の拡大及び適切かつ満足できる補償金額の給付について、制度的に補償できるような制度の改善を検討する必要がある。

 また、実施者に法的責任がないとしても、それによって被災者の被った損害等が事実上制限されるとしたら問題であると考えられるため、適切に補償が行われる方策について検討する必要がある。

(3)報酬関係

 善意で実施した救命手当について報酬を与えることの是非は極めて難しい問題であるが、救命手当の普及等の観点からみれば一概に否定することも適当でない。導入の是非について引き続き検討すべきである。

(4)国民意識の啓蒙等

 救命手当実施に係る環境整備がいかに整備されても、国民一人一人が他人の命を助けることの大切さを認識し、勇気をもって実行しようとしなけれぼ無意味である。その意味で、救命手当に係る講習の充実はもとより、制度的な改善と並行して、国民意識の啓蒙とそれらのための多角的な取組みを官民一体となって一層推進していく必要がある。

 

4 おわりに

 本誌読者に応急手当の重要性を改めて説明する必要はあるまい。

 最後に本報告書の参考文献として記載されているグッド・サマリタン主義を紹介し本稿を終わりたい。

 

Good Samaritan Law

 アメリカには「善きサマリア人法」(グッド・サマリタンロー)と一般に総称される法律があり、1959年のカリフォルニア州法の制定に始まり、1987年までにすべての州で同種の法律が制定された。内容は州によりかなり異なるが、基本的には善意で救命手当等の救助行為にでた者について、その行為に過失があっても責任を免除しようとする内容を含んでいる。

 「善きサマリア人法」の名称の由来は、福音書第10章の次の挿話にあるとされる。強盗に襲われた人が半死半生で倒れていた時、通りかかった祭司さえもが何もしなかったのに、サマリア人だけが彼を助けて介抱し、宿屋に運んでその宿代まで払ったというものであり、傷ついた人を救助しようとした時、その行為が無謀なものでない限り、過失責任を問われないという1つの原則(グッド・サマリタン主義)を説明するものとして引用される。