この原稿は救急医療ジャーナル通巻第22号「NETWORK救急救命士ならびに救急隊員の会から」のページを収載したものです。もしホームページを希望されない記事や訂正を希望される部分がありましたら、 web担当者までご連絡下さい。

栃木県救急救命研究会通信

籾山 眞逸(栃木県救急救命士会会長)

はじめに

 本年10月26日、足利市研修センターにおいて、第1回栃木県救急救命士研修会が、自治医科大学救急医学教室・鈴川正之教授を来賓にお迎えし、会員約30人の参加を得て開催されました。これまでも当会では、救急救命士間での事例研究や親睦会等を実施してきましたが、研修会という形では、今回が初めての開催でした。

栃木県救急救命士会結成までの経過

 1992年、栃木県で最初の救急救命士が誕生し、その後’94年2月にはその数も6人に増えました。しかし、資格取得後、それぞれの職場において救急活動の中で、誰もが救急救命の知識・技術向上の未熟さに対する不安を抱き、個人の努力にも限界があると感じていたのです。

 そこで、県内の救急救命士の連携を通じ、「自己研さんおよび情報の交換、技術方法について学ぶ」会として、少人数ながら栃木県救急救命士会が発足しました。

第1回研修会の内容

 今回の研修会は、プライベートな集まりとして実施されたにもかかわらず、鈴川教授にご講演の快諾をいただけたとともに、依頼の際「栃木県の救命、社会復帰率の向上のためには、救急隊員のさらなる資質のレベルアップを図らなければいけませんね」という言葉もいただき、大変勇気づけられました。

 当日は、まず鈴川教授から、特別講演「傷病者観察について」の中で、症例ごとにレントゲン写真を見ながら、救急現場での観察上の多くのポイントを教えていただきました。その後、「特定行為の最新テクニック」をメインテーマとして、会員から事例発表や技術伝達、また全国の救急業務高度化調査結果についての発表があり、それぞれに対して、鈴川教授がご助言をくださいました。

 また、各メーカーのご協力による救急資器材の展示、実演等もあり、各種情報交換の場所として非常に有意義なものとなりました。

 会員の中からは、病院研修における体験で修得した特定行為についての工夫や将来的に県下救急隊員シンポジウム等を開催したいという旨の意見等、今後の活動に対する積極的な提言も出されました。

 研修会終了後は、市内の料亭で懇親会が行われ、会員相互の親睦を深める楽しい時間となりました。宿に戻っても話は尽きず、救命に対するそれぞれの救急救命士の熱い思いを感じた一日でした。

おわりに

 今後も会員相互の連携の下、先生方にご指導いただきながら、救急救命士としての知識・技術の研さんに励み、地域住民の救命、社会復帰率の向上を目指して、より充実した研修会を行っていきたいと考えております。


救急隊員懇親会の報告

倉持日出雄(神奈川県救急救命士会会長)

 さる、10月7〜9日、第24回日本救急医学会総会が横浜市を象徴するみなとみらい地区のパシフィコ横浜で開催されました。そして、それに合わせて8日に、横浜中華街の一角で「救急隊員懇親会」が開催されました。

 懇親会には、自治省消防庁救急救助課救急専門官の高尾昭夫先生、厚生省健康政策局指導課課長補佐の山本光昭先生、神奈川県救急救命士会顧問の救急救命センター長、神戸市消防局救急課長、横浜市消防局救急課長が貴重な時間を割いてご出席くださり、皆さんから激励のごあいさつをいただきました。また救急隊員他、看護婦自、衛隊の救急救命士、救急救命士養成学校の教員等42施設(うち消防本部は29か所)から98人(うち来賓10人)の参加が得られました。

 今回の会の目的は、あくまでも「救急隊員の懇親」にあります。消防は市町村単位で活動していますが、救急活動を評価して下さるのは、患者さんを搬入した医療機関の先生方です。私たちは病院研修でいろいろな指導を受け、見て、聞いて、触れて、患者さんの病態を学びます。しかし、救急現場での観察技術、救急・救出・搬出技術 −つまり救急現場活動については、救急隊員同士の情報交換が一番重要なのではないかと思います。

 活動の反省点や、的確な観察で思いがけない病態を見抜いたような例、また救急活動現場でこんな工夫をしている、救急資器材にこんな改良を加えて使っているなど、お互いにもてる情報を交換し合い、自分たちを高めることは、救急車を利用する患者さんにとって少なからずプラスになると同時に、国民の皆さんに救急活動を理解していただくためにも必要不可欠のことと確信します。

 そのためにも、救急隊員同士が、市町村の垣根を取り除いて、膝を交え、救急談義に花を咲かせることも必要だと思い今回の会を企画したのです。

 しかしながら、一救急救命士会だけでは何とも力不足で「皆に集まってもらえるだろうか」との思いが先に立ち、なかなか決心がつかず日々は過ぎていきました。そして「何とかしなければ」と思い悩んでいたときのことです。兵庫県下救急救命士会の正井潔会長から「倉持さん、いい機会や、救急医学会に皆で集まろう。協力し合ってやりましょう」という旨の電話がありました。この一言がわれわれに天の助け、万人の見方を得たような力強さを与えてくれたのです。

 わずか2時間30分の短い時間でしたが、はじめて会った者同士が和気あいあいと名刺を交換し、握手を交わして再会を誓い合いながら港町横浜の夜を楽しむことができました。ただ残念だったことは、当日参加したいと会場に電話をくださった数十人の方々に、会場の都合上お断りせざるを得なかったことです。この誌面をお借りして深くお詫び申し上げます。

 このような会が毎年行われ、全国どこに行っても友だちがいて、何でも話せる仲間が寄り集まって、膝を交えて情報交換をしながら酒を酌み交わせる日が来ることを心待ちにしています。せっかく芽吹いた若芽を大切にしていきたいものです。


兵庫県下救急救命士会アメリカ救急視察ツアー報告

正井 潔(兵庫県下救急救命士会会長)

 今年の6月30日から7月6日までの7日間に、兵庫県下救急救命士会で行ったアメリカ救急視察ツアーを報告します。

 「一度は本場のパラメディックを見てみませんか」の見出しで、昨年の9月に当会の会員にツアーの案内書を配布したところ、十数人の参加申し込みがありました。しかし、阪神・淡路大震災の被害の関係で、最終的には、会員10人と当初からの団長、副団長をお願いしていた神戸大学医学部附属病院救急部長の石井昇先生と同副部長の中山伸一先生の総勢12人で出発しました。

 そもそも私がこのツアーを企画したのは、1994年8月のことでした。当時の神戸大学医学部附属病院の救急部長の小澤修一先生(現・兵庫県立姫路循環器病センター循環器部長兼救急部長)と前出の中山先生がアメリカに救急視察に行かれるということで、私も半ば強引に同行させていただいたのです。そのときは、ワシントン州シアトルとアイオワ州アイオワシティーを訪問しました。

 シアトルでは、ハーバービューメディカルセンターとシアトル市消防局管制室の見学やパラメディックが搭乗するメディック・ワン(Medic One)と呼ばれる救急車の同乗ができ、中心静脈による輸液から挿管までの処置を見ることができました。

 また、アイオワシティーでも、救急車への同乗やパラメディック養成所の授業の聴講などを体験しました。そのときの私の受けたカルチャーショックは大変大きく、日米の救急隊の相違を身をもって実感することができました。そこで昨年来から、一人でも多くの仲間にこのような体験をしてもらいたいと思いツアーを企画したのです。

 今回はシアトルに2泊、ロサンゼルスに3泊という日程でした。なお、しわ取るは神戸市と、またシアトルのあるワシントン州は兵庫県と姉妹都市の関係にあります。1日目は、現地時間の午後9時にシアトルのタコマ空港に着き、緑と湖と海に囲まれ、別名エメラルドグリーンシティーと呼ばれるシアトル市内を観光しました。

 2日目は、早朝からシアトル市消防局のパラメディックが常駐している救急署を訪問し、同市のパラメディックの指導者でもあるハーバービューメディカルセンターのコーパス先生から、歓迎のあいさつとパラメディック制度についての説明を受けました。そして午後からは日本から持参した救急服に着替え、2人1組で救急出動に備え、待機することになりました。その間、メディック・ワンの車内の説明を受けましたが、積載している薬剤は30種類以上もあると聞いて、パラメディック制度のすごさに改めて驚かされました。

 この署には、2台のメディック・ワンが稼働していますが、われわれ全員が同乗できるようにとの配慮から、他署から4台のメディック・ワンを呼び寄せてくださった担当官には本当に感謝の念で一杯です。そして6台のメディック・ワンに分乗したわれわれはシアトル市内の各署に散っていきました。

 夕方、各メディック・ワンでホテルまで送ってもらった面々は、一斉にその日の経験談を興奮気味に話し出しました。その光景を見ていると、私が2年前に味わったカルチャーショックを皆同じように感じているように思われました。たった5時間ほどの体験乗車でしたが、3回連続で出動した隊、CPA事案でフルセット処置があった隊、出動がなかった隊など様々だったようです。

 しかし、皆が一様に驚いたのが1救急事案に対し、メディック・ワンが1台、エイドユニットと呼ばれるEMTの救急車が1〜2台、警察のパトカーが1台というように何台もの車が出動するという体勢です。それについて担当官は、「シアトルにパラメディック制度が出来て25年になるが、当初はパラメディックの処置内容も出動体勢もこうではなかった。しかし、今では街で消防自動車を見る機会が多くなり、市民の消防に対する信頼度が強くなった」話をしてくれました。

 翌朝はロサンゼルスに移動し、市役所内にある消防局を訪問しました。消防局の体勢等についての説明によると、シアトルでは救急サービスは無料であるのに対し、ロサンゼルスは有料であり、費用の請求は患者宅か患者加入の保険会社に送られるということです。

 また、パラメディック教育に関しては、シアトル市では訳3千時間(メディック・ワンでの同乗研修や病院研修が半分以上含まれている)、ロサンゼルスでは訳1600時間(うち同乗研修や病院研修は480時間)でした。パラメディックへの指示は、シアトルでは医師が行っていましたが、ロサンゼルスでは看護婦でもできるということでした。説明の後、地下にある管制室を見学しましたが、テロ対策上、この階のエレベーターの階数表示はなく、出入り口も厳重にチェックされていました。また、ここにはロサンゼルス市の危機管理システムとしての防災対策室が併設されていました。

 翌日は、別の場所にあるEOC(Emergency Operation Center)と呼ばれるロサンゼルス郡の危機管理システムの防災対策室を見学しました。ここは、防災対策室として独立しており、免震装置を備えた立派な建物でした。また有事の際は、集合したスタッフが1週間そこで生活できるように衣食住についても整備されていました。この二つの施設はいずれも阪神・淡路大震災の1年前に発生したロサンゼルス大地震以降作られたそうです。

 最後にUCLAの大学病院救急部を見学しました。この病院は巨大なキャンパスの中にあり、パラメディック養成所も併設されていました。

 以上が今回の視察の概要ですが、最終日にはフリータイムということで各自で観光にでかけました。私は今回のメンバーの一人である河本氏とともに同氏の知り合いがいるロサンゼルス消防局第5分署を訪問しました。

 当日は7月4日のアメリカ独立記念日だったので、地域住民が当直の署員全員を消防車のまま自宅に招待し、皆でバーベキューやゲームなどを楽しんでいました。その中に私たちも入りましたが、まるでアメリカ映画の中にいるような感じでした。それは市民と消防職員との信頼関係をまざまざと見せられたような思いでした。

 以上、私が代表して報告させていただきましたが、メンバーの皆さんの感想を以下に記しました。


● パラメディック制度には25年という歴史があり、その間には、医師、パラメディック、行政が協力していまの制度が確立してきた。日本の救急救命士制度は、始まったばかりで、両者の差には歴然としたものがある。将来その差を埋めるのは、われわれ医師、行政はもちろんであるが、それらを動かすのは、救急救命士の日々の努力にある。今回のツアーに参加した皆さんは、パラメディックを直に見てとくにそう感じたことと思う。
石井 昇 (神戸大学医学部附属病院救急部長)

● 前回の視察のときもそうであったが、病院であっても救急隊であっても、マンパワーの豊富さが強く感じられた。一人の救急患者に対し、救急車、消防車が何台も出動し、それぞれのパートが実にうまく組み合わされている。これらを目の当たりにした救急救命士の皆さん、将来はこのようになりたいと夢見たことだろうが、パラメディック制度も一朝一夕に出来たものではなく、25年間に渡る関係者の努力の結果であると思う。私どもも含めて、今後さらなる前進をしたいものである。

中山 伸一 (神戸大学医学部附属病院救急部副部長)

● 観光気分で参加したのですが、シアトル市でのメディカル・ワン同乗では貴重な体験が出来ました。身体が左右に激しく揺れ、シートベルトなしでは耐えられないような緊急走行。先着消防隊によるCPR。パラメディックによる気管内挿管、薬剤投与、除細動と、まるで医療機関内を思わせる救命処置。不搬送の際、救急隊員が傷病者に白布を掛けることまでをも可とする市民の救急隊への信頼感・・・。今回の企画をしていただいた兵庫県下救急救命士会に感謝します。

河本 博志 (尼崎市消防局)

● 2人ずつメディック・ワンに同乗することになり、2人のパラメディックとあいさつを交わした。一人は日本人とのハーフであり、車内でも日本語の単語を連発し、私たちをリラックスさせてくれた、そして車を飛ばして着いた所は郊外の出張所らしく、エンジン(ポンプ車)とトラック(梯子車)が置いてあり、車庫の奥ではバスケットボールをしている消防隊がいた。
 私たちが日本の神戸から来た救急隊であることを紹介してもらうと、「Sister City」と友好を表したバスケットボールを渡してくれた。どうやら一緒にゲームをしようということらしい。ロサンゼルスでもそうだったが、アメリカの消防署には、バスケットゴールが必ず設置してあるようだ。アメリカ人はバスケットボールが好きなのである。私たちはそれから2時間以上プレイし続けた。その後の救急現場での内容は、同行した池田さんに任すことにしよう。

牧野 勲 (神戸市消防局)

● シアトルのメディック・ワン・プログラムは、医療体制、技術、マニュアル等、確かにすごいと思うが、決して日本が全ての面で劣っているとは感じていない。たとえば、機器、装備の面では明らかに日本の方が優れていると思う。しかし、薬剤を使えるパラメディックと使えない救急救命士とでは大きな違いがある。私が同乗したときも低血糖発作の事案で意識障害があったが、ブドウ糖の静脈内投与を行い、現場処置で済ませた。私見では、現場処置で対応可能なものは現場で済ませるパラメディックと救急救命士を比較することは間違っているかも知れないが、日本でも薬剤投与ができるような制度の早期確立を希望する。

池田 潤 (神戸市消防局)

● 憧れのメディカル・ワンに同乗でき、フリーウェイでの交通事故に出動したが、途中で引き上げとなり生の現場を見られなかったのは非常に残念でした。しかし、アメリカのパラメディック制度のマンパワーのすごさ、市民・救急隊・医師の信頼関係の強さを強烈に感じ取ることが出来ました。日本でも、救急救命士が誕生し各地で活躍していますが、問題も多々あります。しかし、それに背を向けることなく積極的に解決していってこそ、パラメディック制度に近いものが確立されると思います。

小西 康夫 (加西市消防本部)

● 救急を語るには、アメリカのパラメディック制度を抜きにしては語れないと思い参加しました。シアトルのメディック・ワンに同乗し、幼児の転落事故と心肺停止事案の2件に出動しました。救急現場で見たパラメディックの処置や活動状況には、自信と誇りに満ちあふれたプロ意識が感じられました。今回、このようなパラメディックの活躍を目の当たりにすることができたことは、一生の思い出になりました。

合志 知男 (神戸市消防局)

● 今回参加して、アメリカと日本の違いをより一層感じた。シアトルのメディック・ワンに同乗したとき、パラメディックが呼吸器疾患の傷病者にパルスオキシメーターを着けなかったので理由を聞くと「機器を重視せず観察を重視するよう医師から指導を受けている」という自信に満ちた答えが返ってきた。その言葉を思い出すたび、自分は今ある知識や資器材を十分活用しているだろうかと自問している。そして、いま出来ることを完全にマスターして実施することが第一であると改めて認識した。

早原 賢治 (神戸市消防局)

● 「一度は本場のパラメディックを見てみませんか」という見出しの案内書を見て、是非行きたいと思い参加しました。私が同乗したメディック・ワンは出動途中で引き上げとなってしまい、救急現場を見ることはできませんでした。しかし、アメリカのパラメディック制度を肌で感じたことやメンバーの懇親を図れたことは私にとって大きな財産となりました。

芹生 信弘 (西脇多可行政事務組合消防本部)

● シアトルで、憧れのパラメディックの活躍を直接見ることが出来ました。それは、日本で思っていたよりもすばらしいもので、自信に満ちあふれたものでした。私たちもいま許されている処置を完璧に行うことにより、医師、市民に認めていただけるよう、日々研さんしていく必要があると思いました。

小林 信二 (神戸市消防局)

● 今回は、パラメディックの活躍を直接見られるということで参加しました。幸いにも、数時間の同乗で3回連続して出動があり、パラメディックの活躍を自分もこのようになりたいという気持ちで見ていましたが、本当にうらやましさでいっぱいでした。この気持ちを励みに一層、救急救命士活動を充実したものにしていきたいと思っています。

片山 達 (西宮市消防局)


 以上のように、今回のツアーは、参加した10人の救急救命士にとって大変意義深いものになりました。このツアーで得たことを今後の救急活動に活かしたいとおもいます。また、この企画を挙行するにあたり、視察先との交渉や現地での通訳など、大変ご尽力いただいた石井先生、中山先生をはじめ、応援していただいた職場の皆さんにこの誌面をお借りしてお礼申し上げます。

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