この原稿は救急医療ジャーナル'95第3巻第3号(通巻第13号)「NETWORK救急救命士ならびに救急隊員の会から」のページを収載したものです。もしホームページを希望されない記事や訂正を希望される部分がありましたら、 web担当者までご連絡下さい。

東北救急救命士会通信

山本 博(東北救急救命士会会長) 1991年8月、東京都の御徒町に仮設された「救急 救命中央研修所」に、60人の制服を脱いだ消防職員が、 日本初のパラメディックを目指して参集しました。

 「助かるべき命を助け、救命率の向上をめざす」のス ローガンを掲げ、七野護初代所長をはじめ、山本保博主 任教授、大谷篤教授、安田和弘教授を中心とした専門医 の先生方のご支援を受けて、消防士たちに対する新しい 救急教育がスタートしたのです。時を同じくして、東京、 横浜、名古屋、大阪の消防機関教習所においても、それ ぞれ第一回救急救命士国家試験に向けての教習が開始さ れました。

 救急救命中央研修所の教育方針は、単なる救急救命士 試験の受験校たる性格を否定し、「立派な医療人を育成 する」ことにあり、所長をはじめ教授陣は「卒業生の一 致団結した救急活動に期待する」と諭され、試験対策の 教習のさなかにありながらも、日本の救急医療の現状を 踏まえた救命教育を進められました。

 当時、私たちにとって資格取得は絶対条件でした。し かし、これらの教えを受けた私たちの胸のうちでは、帰 郷の暁には新しいプレホスピタル・ケアの一員として 救急救命士のさまざまな役割を果たすべく、お互いに協力 し合う必要性を感じ取っていました。

 卒業間近、日暮れの寒風吹きすさぶ都会の狭間を歩き ながら「もし、合格したら銃後の守りをしてくれた家族 とともに、一同に会したいものだ」と話し合ったもので した。

 ライセンスを手に、新所属に着任し、地域住民の期待 を全身に感じながら、救急救命士として患者の前に立っ たとき、処置時間の壁に悩み、より優れた手技を求め、 ことあるごとに同期生の活動が気になり、よく電話をか け合いました。

 所属組織からも、システム上のこと、運用上の選択、 病院研修、生涯教育、医療機関との連絡調整、規約等に ついて数々の問題が問われ、他都市を参考にすべく全国 の同期生と連絡をとり合いました。そして、学会で顔を 合わせたときにも、同期会の開催や救急救命士会の必要 性について話し合いました。

 これらの経緯をへて、1993年夏、恒例の同期生家 族旅行で福島県を訪れたときに、救急救命士会の発会意 向が固まり、開始時期と組織づくりを検討することにな ったのです。会の目的は、学術研究と親睦であり、規約 書は他都市のものを参考にしました。また、各人が結成 における問題を提起し、各方面へ打診してコンセンサス が得られるかどうかを確認しました。

 当時のもっとも大きな問題は、救急救命士会を公的な 会にすることは可能かどうかということでした。発会時、 第5回試験資格取得者も含めても救急救命士は80人で した。そこで、組織の意向を伺ってみたところ、

 「現状では、その実績および活動さえも未知であり、 各消防機関は管轄医療圏で試行錯誤を繰り返す段階のも のであるため、当面は消防長会へのアプローチは時期尚 早である」という答えが返ってきました。

 そこで、さらに多方面から慎重に検討を重ねる必要が ありました。なかでも各消防本部への働きかけと会員へ の呼びかけの範囲をどうするかという問題は、有資格者 であれば誰でもいいのか、ということと併せて提起され、 時を要したところです。

 そのときの結論としては、われわれは救急救命士の生 涯教育の一つとして東北救急医学会に参加し、全国消防 長会東北支部の中にいるということから、東北地方の消防 救急救命士の会としてのスタートでした。

 会の規約は目的に合わせてシンプルにし、1期生は、 役員や世話人として当面、会が軌道に乗るまでご尽力い ただくこととし、すべては紳士協定により進めることと しました。また、運用資金に関しては賛助会員制度は取 り入れず、当分の間1000円の文書通信費のみとする ことにしました。

 計画立案が終わったときにはすでに、第7回東北救急 医学会(第2回救急隊員部会)が目前に迫っていました。 そして、1994年6月、東北救急医学会の席上、多数 の救急救命士の皆さまが参集されたなか、学会を支える 先生方や救急救命東京研修所からのご賛同を得て、主旨 了解による満場一致で東北救急救命士会の結成発会の運 びとなったのです。

●東北救急救命士会の組織・仕組み

 東北方面の会であり、新潟県、山形県、福島県、宮城 県、秋田県、岩手県、青森県の7県の救急救命士の集ま りと通信ネットワークです。

 役員は、会長1人、副会長7人、世話人若名、そし て、事務局を連絡所として機能しています。その他に県 単位、複数消防本部単位、消防局単位などの会が考えら れますが、それらは当会の組織下に組みするものではあ りません。

●今後の活動

 当面は、東北救急医学会開催時の親睦会(年1回)、会 報発行、全国の救急関係情報の交換などが主な活動内容 です。昨年は、少数ながら、会員同士の救急技術研修会、 専門科目勉強会などが医師の協力の下に実施されまし た。

 東北には、まだ医療機関との連携がうまく行われてい ないところ、救急救命士の有資格者はいるものの実際の 活動さえ行われていないところもあります。そのため、 さまざまな問題を抱えて組織の中で悩んでいる救急救命 士も少なくはありません。当会は、これらの皆さまの問 題検討の場として活用していたたき、いくらかでも救急 救命活動の一翼を担うべく協力し合うところでもありま す。

●今後の課題 (1)現在は消防職員の範囲で会員をつのっていますが、阪 神・淡路大震災における救急医療活動を顧みて、将来的 に、医療機関、自衛隊、海上保安庁、ボランティア、そ の他で活躍中の救急救命士の方々の参加希望をいかにす べきかを検討しなければなりません。 (2)救急医学会を中心に救急救命士会の役割を考察し、東 北地方の救急隊員の発展に寄与することを見いだすもの です。

●全国救急隊員へのメッセージ

 全国の消防救急救命士諸君の中には、部外の団体や他 の消防機関への参画が、いくらプライベートであったと してもきわめて困難な方もいると推察いたします。です が、会の設立はまだでも近隣の方々と研究会を開くこと はできますし、将来、救急救命士会の全国会ができると すれば、必然的に日本救急医学会で生涯教育を受けるこ とが考えられますから、その機に参加を試みてはいかが でしょうか。

 いま、会を発足させていえますことは、たとえプライベート で参加していても、消防組織の一員としての立場 をわきまえた消防士諸君が救急救命士会を中心にして一 同に会することで、厳しい使命をもつスペシャリストた ちの他の拠り所ともなっているということです。

 終わりに当会の会報創刊号の編集後記の一節を紹介い たします。

 「日夜、現場へ出場する救急隊員は、 血にまみれた患者のうめき声、苦悶、肉親の光る涙を 全身にあびながら救命処置を繰り返す。 そんな中、時には自分の家族の姿とオーバーラップし身震いをする。
 病院から帰る途中の救急車内、 救急処置室で挿管が外された無言の人、 モ二夕ーの警報を思い出す時 挙を握りしめ、 つい無言になってしまう。」

 同じ時代に同じ目的のために活動する者として、 この 救急医療の黎明期に情熱の火を絶やすことなく、精一杯 の努力をしようではありませんか。


同窓会の結成と機関誌の発行

北海道ハイテクノロジー専門学校では、同校の卒業 生を対象に同窓会を結成す るとともに、学内機関誌 『SIM00M(熱風)』を発 刊した。

 同誌は、卒後教育、各種 研修会等の情報提供、研修 病院の紹介、卒後の悩み相談など、同校の在学生 および卒業生を対象に作成されたもの。将来的に は、救急救命士養成所の機関誌、もしくは消防関 係者、医療関係者とのコミュニケーション誌にで きればということだ。


登場!救急隊員章

横浜市消防局  横浜市消防局では、救急救命士や救命救急センター等の 医師からの要望を受け、4月1日から救急II課程以上の救 急隊員に救急隊員章を装着させている。色は鮮やかなオレ ンジの地に青の縁どり、マークには青と白、文字にはシル バーが使われている。マークは、欧米各国で救急のシンボ ルとして知られている生命の星と医学を象徴する杖と蛇が かたどられている。また、外国人からも標準的な応急処置 ができる救急隊員であることがわかるように「EMERGENCY MEDICAL TECHNICIAN」という文字と都 市名の「YOKOHAMA」 が表記されている。
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